演技派モデルを通して、新宿という街をスナップする -- 平野結(ひらのゆい) --
ポートレイト、をwikipedia で調べてみると、以下のような記述があった。
- 肖像
- 人物写真
- 胸像
- 生き写し
写真のポートレイト、というのも、もともとは「肖像画」が語源であることは間違いないだろうけど、だとするとポートレイトの主役は、あくまで映る人、描かれる人、になるはず。
もちろん、ありのままの真実ということはなく、ある種の思想、ある種の美化が混じることはある。でもそれは、あくまで「モデルがそのように見せたいから」その美化が行われることになる。つまり、被写体のための絵であり、被写体のための写真になる。
語れば長くなるのだけど、自分は新宿という街が大好きである。長くなるのでここでは一切省略するけど、いつか、この街を題材に何か作りたいなぁ、とは思っていたし、今でも思っている。
そんなときに、平野さんをモデルに、新宿でポートレイトを撮る機会を頂いた。
平野さんは以前に一度撮らせていただく機会があり、もちろんとても笑顔の素敵な可愛らしい方なのだが、それと同時に、強い目力と高い演技力をお持ちの方で、自分としては是非この方に、自分の考える「新宿」を演じていただければ、こんなに素敵なことはない、と思った。
平野さんはとてもチャーミングな方だが、外見にわかりやすい「欠点」がある。いや、人間だれしも、芸能人含めて、完璧、と呼べる人はほとんど皆無と言ってもいいのだけど、芸能人の場合は化粧したり整形したり、一般人の場合は、その欠点が「親しみ安さ」につながったりするし、理想の「ポートレイト」だとそれをうまく補正したりする。自分も前回はそうした。
(前回のお台場撮影会の写真)
今回は、新宿の裏通りの猥雑さを表現したく、ゴミを背景に、平野さんの「お肌の荒れ」を、あえて残して撮影した。さすがに「くっきりすぎて」ボツにしたものもあり、ここに載せるのは顔の一部にだけピンが合っているものにした。
裏新宿の力強くもやさぐれた感じ(森山大道の「犬の記憶」にインスパイアされているのだけど、我ながら女性を犬っぽく撮るのはどうかと思う。気に入っているのだが、本当に公開していいものか迷う)
花園神社という、都会の真ん中の静かなスポット
待ち合わせの時など、ヒロインちっくな新宿を撮るときは、やっぱり、ふんわりな色使いにします。
ネオンの街に思いを乗せて
とかやってみたのだけど、やっぱり、個撮とはいえ複数人で場所移動しながら、だといろいろ大変だったな、 というのが感想。
- ロケが事前にできない。「ここで撮りましょう」となってから、いろんな脚本を考え、ライティングを探さないといけない
- 「念のため」で荷物が多くなる。取り出すのが大変。他の人に迷惑がかかる
- 衣装が事前に指定できない。今回の平野さんの衣装は彩度が高すぎて、扱いにちょっと困ってしまった
- ライティングがほぼ不可能。30分かけたワンショットを撮ることができない <== まぁそれを自分がしたいか、はまだ別問題だけど
時間があるときに、1対1で、新宿でどなたか信頼できる方と作品作りしてみたいものです、というより先に、信頼できて1対1の撮影をできる方が見つけられるくらい、やっていかなくては、と思う次第。
街中ポートレイト -- 2018.05.26 日比谷、有楽町、銀座 -- モデル:アリネコさん
自分が好きでよく読む「ラブホの上野さん」が書いてあるコラムに、こういうのがあった。
年収1,000万円超の40代男性が、20台の女性を婚活で希望しているのは地雷かどうか、という内容だけど、自分が特にひっかかったのがこのフレーズ。
「テニスを除けばほとんどの趣味が「1人」でするものなのです。それが問題というわけでは御座いませんが、彼は休日のほとんどの時間を1人で過ごしているのではないかと推測されます。」
わりと自分としても「あ痛たた」となるフレーズだった。
自分はずっとピアノをやっていたけど、基本的に1人でするもの。高校のときの部活も柔道という、チームプレーではないもの、社会人になってサックスを始めて、それは1人ではなかなか成立するものではないけど、合わせるのは先生だけ、写真も、ブツ撮りやスナップ、風景だと1人で成立してしまう。
最近なんだけど、自分の中で「コミュニティに所属」することが本当に苦手なのだと再認識することが多く(結婚含めて)、それによって自分の可能性を狭めているのかなぁ、と悩むことも多い。
とはいえ、最近はジャムセッションに行ったりとかしてるんだけどね。
というわけで、5/26 に、屋外ポートレイト撮影に行ってきました。自分一人ではできない趣味、ということで。一人でできない趣味にも、やっと面白さを感じてくる、というか、一人で到達できる世界の限界をかんじたわけ。
今まで撮影会やストアカの講座で何回かポトレ撮ってきましたが、今回はブッキングから、SNS のみで行なった初のポトレになります。
モデルは、アリネコさん。ご自身でも写真を趣味としているナイスなお姉さんです。
自分も、twitter の写真アカをいろいろ拝見していて、高円寺での個展でお会いできる機会があってお会いしたこともあり、最初のポトレは、是非ともこの方、と思っていた次第です。
撮影
日比谷濠にて
最初は緊張しているということもあり、わりと「サマになる」背景を選ばせていただいた。
ここで思ったことは、「アリさんはモデルとしてしっかりとした型のある方だな」と思った次第。これは、音楽でいうとセッションであって、自分の思う楽曲イメージを作ることは、時間的、環境的に難しいな、ということ。街中ポートレイトだし、以前少し話したことがあるとはいえ、あくまで少し。そこまでコンセプトを確認する時間もない。
ということでここで宣言。「今回の撮影会では、今まで他の方が引き出せなかったアリさんを引き出すことは難しいと思います」
逆に言うと、自分は事前にコンセプトやイメージ、ロケハンの情報をお伝えしていて、それをアリさんも読んで準備してきたということ。そこはとても素晴らしい感謝ということで、今回は遠慮なく先輩のリードにある程度身をまかせることにする。
有楽町駅高架下
アリさんもいろんな方と撮影している、とても「らしい」場所。 今回はカメラの設定等でもアドバイスをいただいた & ストロボに手間取ってご迷惑をかけてしまった。
北海道どさんこプラザ有楽町店
ゆるふわな感じも撮れるのだよ、ということで。
銀座の街中
銀座はキラキラしたイメージがあるけど、そのキラキラしたイメージを支えている人々が通るような場所
人が大勢いるところでの孤独感を演出したく
銀座某ビル
ご存知の方は内緒で。
小道具使って
振り返って
ピンの甘いところと、どうしても自分の好みでバストショットが多くなるのは、クセとして修正しないといけないな、と思った次第で。
また、モデルの表現力の高さはありがたい、全てのポーズがベストショットだ、というのはとてもやりやすかったけれども、それに混ぜられる自分の個性というのもの、改めて考えたい、のと、
デトレするなら、荷物を小さくするのも課題だな、と思った次第。
自分の思い通りの写真が撮れたか、と言われると、技術的にも創作的にも否だけど、誰かと一緒にやるということはセッションということで、これから自分の世界を出すためのセッションを出来るかというと、これは経験値を積むしかないわけで、今は一緒に楽しく創作できたので、とても良かったと思う。
意図と運命のバランス感 - 來迦結子 個展 「魂コレクション」 -
子供の頃、小中学校の芸術教育にはいくつか問題、というか、時間的制約、教師の力量や子供の理解力の限界から来る方便みたいなものがあって、それは、「あたかも正解がある」かのように教えること。表現と表現技法の明確な区別が付けられていないこと。上手に正しくやることが目的になること。いや、決して悪くはない。「覚えるべきこと」は過去の人類が遺した足跡であり、それをより多く「遺伝」するためにはかなりの系統的なトレーニングが必要で、これは、小中高の12年間では、決して十分ではない、かもしれない。
とはいえ、過去の遺産を遺伝しきる前に結局は「自分は何者か」と向き合わないといけないわけで、ある程度のところで、土台がフラフラながら自分で立たないとはいけないのだ。
さて、自分は高校までクラシックピアノをやっていて、大学ではジャズ研で、大人になってからも楽器を変えて続けているのだけど、
- 小学生~高校生:お手本通りにしっかりやる(=> クラシック)
- 大学生、社会人始め:自分の理想をじっくり追求する
- 最近(プロには程遠いがセッションは出来る):短時間でできることをやりつつ、新しい要素も取り入れる
という形で動いている。
「(表現の)プロにホームランはいらない。ヒットを沢山打てればいい」というけれども、正確には「ホームランを狙う玉を待つ暇があったら、とにかく挑戦しろバットを振れ」ということかな。
んで、音楽ではなく美術の話なのだけども。
美術品として表現する手法には2つあって、
- とことん時間をかけて追求する
- 瞬間を切り取り、名前を付ける
とことん時間をかけて作り込んでも自分の体から来る「癖」からは逃れられないし、瞬間を待つにしても自分の意思はあるし、どちらにしろ、自分の意思はあり、そして、それは100%の制御はできないわけで。
ここで、「瞬間、運命を切り取る」手法をとる、來迦結子さんの個展にお邪魔してきました。
來迦さんとお会いするのは今回が2回目で、1回目にお会いしたときには、「映像の途中を切り取るみたい」という話をさせていただいた。
今回は、「インスタにあげてるのはバッチリ決まったけど、これからまた動いたりしてるんだよねぇ」とのことでした。
となると、「この作品の『完成』って、何なのでしょうね。
このように來迦さんが展示されている作品もありましたが、今回のメインとしては、
と、來迦さんの作られた「魂」を、皆で貼り付ける展示となっていました。
來迦さんは、この「魂」を作る技法に対し、どのような「切り取る」、具体的に言えば動画的な表現を考え中とのこと。
彼女の考える宇宙を「作り込む」だけではなく「出会う」のも、また、それも create world かな、と思った次第。
舞台女優、平野結さんを撮ってみた
お台場、5月5日、昼の1時から3時
残念ながら、下見もできず、初対面で、他撮で、昼間という環境。
でも演技派のモデルさんで、自分の好きな、喜怒哀楽とは違う、微妙な感情を撮すことができたかな、と。
まずは色合わせ
花の後ろの工事現場を想って
疲れて座っていて、友達に手を伸ばすけど掴んでもらえず
待ち合わせに友人が来ない
本当は友人と一緒に行くはずだった場所
吉祥寺スナップショット
プロモデル、恩田さやかさんを撮影して Lightroom で弄ってみた
絵の魅力を伝えるための写真を撮ろう、としたら、難しくて軽く落ち込んだ件について
最近は写真撮影可のギャラリーや、一部もしくは全部の撮影をOKにしている美術館博物館が増えてきて、多くの方が気に入った作品の写真を撮影してブログやSNSに投稿しているわけで、
自分も以前、東京国立博物館の展示で、iphone のカメラで、
あまりにうまくいかず悔しかったから、ミラーレスを買って
と、ボケとか光とかを見て、あとは ISO をあえて高くしてノイズを乗せたり WB を調整したりして、イメージを伝えることはできるけど、これは立体物であって、元々が平面で、色をいじったりノイズを乗せたりしたくない絵画は、写真だとただの劣化になって伝えることが難しいなぁ、と思っている。
ということで、以下にチャレンジしてみました。
絵を見る人の視点を入れてみる。
例えば、最初に絵の写真は、人の手をフレーミングしてみたのだけど、どうだろう。
撮ってみる絵
こちら、「ぼくはそれに染まるべきだろうか」。
この絵とモデルを一緒に撮影する場合、最低、3名の人間が関係することになる。 1名はカメラマンをしている自分だけど、他に2名。
絵の作者
町田雨子さん
基本的に、自分は原画を買うときは、作家の方とお話しした上で決めるのだけど、今のところ唯一かな? 一度もお会いしてないのに買わせていただいた作品である。最近の絵は、自分がこちらをお迎えした当時よりも幸せそうな雰囲気が漂っていて、なによりである。
モデル
恩田さやかさん
以前こちらのエントリで紹介させていただいた
こちらの講座に来ていただいたモデルの方である。
まずは正解の写真
正解の定義を以下に設定。
本物の絵に対して、どうしても魅力が減ってしまう写真に対して『こういう風に見ている』という視点を追加することによって、魅力を伝えるプレゼンをする
わりとうまくいったと思うのだけど、どうだろう。
解説文を挟みつつ、冒頭の絵のアップの後に、これの写真を紹介するとなると、わりといいプレゼンに使えるかもなぁ、と思っていて、何人かの作家さんのご意見を伺ってみたいところである。
失敗した写真
残念ながら、自分では全然撮れなかったのである。上の写真、確かにカメラの設定をしてシャッターを押したのは自分だが、モデルの表情を作る設定の指示出しをしたのは先生なのだ。
自分が指示出しをしたときの写真はこちら。
はい。「ぼくはそれに染まるべきだろうか」にある、ある種の重い空気感が全然撮れていません。
なぜ伝わらなかったのか
今回関わっているのは3名と言ったが、作者がモデルかカメラマンを兼任していたら2名だし、実際は、「プロデューサー」という別の役割の方がいるのだ。
プロデューサーとは、「『ぼくはそれに染まるべきだろうか』の魅力をどのように捉えて、それをどのように伝えるか」を判断する人のことである。まぁ、多くの場合は、作者かカメラマンかモデルが兼任することになる思う。小規模な撮影の場合なら。
プロデューサーが、被写体(この場合は絵)の魅力と伝え方を定義するから、以下が行える。
- カメラマン:背景の選択、カメラの設定、編集の方針
- モデル:表情作り
今回はカメラマンである自分がプロデューサーを兼ねているわけで、自分がモデルに指示出しをするのですが、そのときの指示だしはこういうふうなものでした。
- この絵を見て何を感じますか?
- タイトルはこういうもので、そのときの作家さんはこういう状態だったそうです
- この目の赤いところや肌の質感がこの絵の特徴です。
ここで、自分の伝えたいものが恩田さんに伝わるまで、あまりうまくいってない写真があがってしまった模様
先生はどう指示したのか
ゴールから伝える。
- 今回は、この絵を見て重苦しい感じを伝えたい
- ちなみに、目の赤いところや肌感からそう感じている
ゴールから伝えると、この絵からではなく、以前のモデルの自分の引き出しから、「重苦しくなった経験」を出して来て、表情を作ることができる。それが、出来た写真。
何故失敗したか、以後どうするか
自分は絵が好きなので、その自分が好きになった絵の魅力は誰にでも伝わると思ってしまうのですよねーーー。
でもそういうことはないわけで、それぞれの感受性は違うわけで、でも、それを、嘘かもしれないけど、それを憑依させて伝えることはできる。コマーシャルって、そういうことだよね、と改めて認識。
まずは、以下かな
- 自分が(プロデューサーとして)どこが素敵だと思ったか言語化する
- 感性は違うし、感性が違う人とも言葉を介してコラボできると知る
違和感がないと言ったら嘘になるというか、自分が「アマチュア(愛する人)として」それをやりたいかというのはあるし、でもそれは劇を演じたり小説を書いたりするのと何が違うのかという感じもするし、とりあえずは、もう一度別の作品でやってみようと思った次第。
感性を言語化するには
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