どうしようもなく不幸な選択を選んでしまうあの人に伝えたいこと

誘蛾灯に惹かれる蛾のように、自分を不幸にする方不幸にする方に向かっていく人がいて、それを見ていて思うのが、「不幸になるにも才能が必要だ」ということ。

不幸というのが、「その人が嫌な思い、つらい思いをしていることをその人のいる世界が喜ぶ」だと定義するのであれば、その不幸な人には、こういう人が不幸でいるという楽しさを感じるための「利用価値」が必要。

利用価値がない人が嫌な思いをしても誰も喜ばないので、特にそれといった不幸にはならないし、遭ってもすぐに飽きられる。つまり、中の上の顔の人よりも、美人の方が不幸になりやすいし、亡国のお姫様は町娘よりも酷い目に遭う。

勿論、不幸でい続けることには精神力、体力が必要なため、それがない人は早々に廃人になるか、もしくは命を絶つ。 そして不幸に耐え切れる人はその状態がデフォルトなので、不幸から離れるための変化は、生理的に気持ち悪さを感じたり知識がなかったり意図的に与えられなかったりして選べない。

だから、「不幸な選択」を「主体的に」し続ける人は、人間として基本スペックがとても高い(体力がある、知力が高い、才能や魅力がある)。だからこそ、不幸であることを望む世界の強制力から逃げるのが、スペックが低い人より難しい

不幸な目に遭い続け、それでも不幸な選択をしてしまい、でもそれに流されない人に伝えたいのは、「今まで生き延びてくれてありがとう」

不幸の連鎖をすぐに止めるのは難しくとも、それに耐え続け、でも、甘んじていない、その強さに、自分は惹かれる。

その人のために何かしたい、と思うのは、多分、とても、傲慢なこと、なんだ、と思う。