「好きの反対は無関心」は是か?

元?キングコングの西野氏のこのような記事があるけど、

ameblo.jp

まとめると、

  • 西野氏のアンチは、アンチ活動すればするほど、西野氏が喜ぶ
  • 無視するという選択をした
  • 無視するというエネルギーを使っていることを西野氏が気づいていないのがくやしい
  • 西野氏に知らしめたい
  • それはもう、ファンだ

という内容、と自分は理解。

正直申し上げて、自分は西野氏のことが好きではありません。理由は挙げられますけど、まぁ主題ではないので。 んで、出て来る元アンチさんがファンかどうか、と言われれば、自分としては「どっちの可能性もあるなぁ」というかんじです。

よく「好きの反対は無関心」とはいいますが、必ずしもそれは当てはまらないと思っています。

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たいていの場合、好意がない場合は距離を置こうとするのですが、それができないシチュエーションがあって、例えば

  • 野球という競技全般は好きでよく見たいのだけど、その中で巨人への贔屓が目につく
  • 学校のクラスが一緒
  • 嫌いなやつが仕切り役
  • 他の人は好きらしいが、自分はそうでもない。でも他の人が好きらしいのでよく耳にする

という、何らかの強制力が働くことがあり、んで、たいていの場合その強制力は「好意を持っていない対象」自身が持つことがあるので、その場合「嫌い」になります。

んで、厄介なのが、自分は好意を持っていないけど、他の人が好意を持っているのが嫌だ、という感情も、また無視できない、ということです。 その場合、自分に自信がない場合は消極的に近づくし、ある場合はその好感度を下げる行動に出ます。件の元アンチ氏も、「他の人が好意を持っているという状態が気になる」という可能性も、あります。

で、「無関心でいられるよりかは、嫌われた方がまし」というのは、まぁそれぞれかと思います。嫌われるメリットとしては、そこから「好き」につながる可能性がある、ということもあるかと思いますが、自分としては、「本来無関心なはずなのに、他の外部要因で迷惑がらせている」と考えるだろうな、と思います。

うーん、もう少し嫌われる勇気とやらを、持った方がいいのかな、と反省することもありますけどね。とはいえ、自分は芸能人でないので、嫌われるリスクを取るメリットをあまり感じないのも事実。