意図と運命のバランス感 - 來迦結子 個展 「魂コレクション」 -
子供の頃、小中学校の芸術教育にはいくつか問題、というか、時間的制約、教師の力量や子供の理解力の限界から来る方便みたいなものがあって、それは、「あたかも正解がある」かのように教えること。表現と表現技法の明確な区別が付けられていないこと。上手に正しくやることが目的になること。いや、決して悪くはない。「覚えるべきこと」は過去の人類が遺した足跡であり、それをより多く「遺伝」するためにはかなりの系統的なトレーニングが必要で、これは、小中高の12年間では、決して十分ではない、かもしれない。
とはいえ、過去の遺産を遺伝しきる前に結局は「自分は何者か」と向き合わないといけないわけで、ある程度のところで、土台がフラフラながら自分で立たないとはいけないのだ。
さて、自分は高校までクラシックピアノをやっていて、大学ではジャズ研で、大人になってからも楽器を変えて続けているのだけど、
- 小学生~高校生:お手本通りにしっかりやる(=> クラシック)
- 大学生、社会人始め:自分の理想をじっくり追求する
- 最近(プロには程遠いがセッションは出来る):短時間でできることをやりつつ、新しい要素も取り入れる
という形で動いている。
「(表現の)プロにホームランはいらない。ヒットを沢山打てればいい」というけれども、正確には「ホームランを狙う玉を待つ暇があったら、とにかく挑戦しろバットを振れ」ということかな。
んで、音楽ではなく美術の話なのだけども。
美術品として表現する手法には2つあって、
- とことん時間をかけて追求する
- 瞬間を切り取り、名前を付ける
とことん時間をかけて作り込んでも自分の体から来る「癖」からは逃れられないし、瞬間を待つにしても自分の意思はあるし、どちらにしろ、自分の意思はあり、そして、それは100%の制御はできないわけで。
ここで、「瞬間、運命を切り取る」手法をとる、來迦結子さんの個展にお邪魔してきました。
來迦さんとお会いするのは今回が2回目で、1回目にお会いしたときには、「映像の途中を切り取るみたい」という話をさせていただいた。
今回は、「インスタにあげてるのはバッチリ決まったけど、これからまた動いたりしてるんだよねぇ」とのことでした。
となると、「この作品の『完成』って、何なのでしょうね。
このように來迦さんが展示されている作品もありましたが、今回のメインとしては、
と、來迦さんの作られた「魂」を、皆で貼り付ける展示となっていました。
來迦さんは、この「魂」を作る技法に対し、どのような「切り取る」、具体的に言えば動画的な表現を考え中とのこと。
彼女の考える宇宙を「作り込む」だけではなく「出会う」のも、また、それも create world かな、と思った次第。