江戸と東京の災害と文化 浮世写真家 喜千也
東京は、古い建物がすくなくてつまらない、という人が多くいます。 それは本当にしょうがなく、家康が作ってから、幾度となく災害や戦争によって、江戸東京はリセットされています。
例えば、東京大震災 例えば、太平洋戦争での東京大空襲
これによって、かつての江戸藩邸などの、江戸の風情を残した建物の多くが焼けました。
現在でも残る江戸時代の建造物、旧加賀藩主前田家上屋敷御守殿門(東京大学赤門)
東京大震災よりも前にも、江戸は何度か大災害に遭っており、安政3年の大地震で、江戸は人口の10%を失うことになりました。
その復興事業として作成されたのが「名所江戸百景」。安藤広重の晩年の作品になります。国会図書館にフリーアーカイブが存在します。
安政の大地震から約170年。明治大正昭和と、さらには平成も終わろうとしている東京の街も、やはり、江戸から続いている、そのような写真を撮られている展示が、3/4まで、新宿にて行われています。 広重の名所江戸百景と同じ場所、同じ構図で現在の東京を撮影しており、その土地につながる歴史を感じられる写真となっています。
写真家の喜千也様に思いを伺いました。
- かつての江戸の災害復興の絵と今を合わせることにより、東北震災を経て改めて表示したい
- 自分が子供の頃よりも東京の街はとてもきれいになった。アートを通して、環境問題について伝えたい
他にも、江戸の歴史は勿論のこと、文化財のアーカイブの著作権の話(国会図書館はフリーだけど版画の質が悪い。東京都のものは品質はいいけど使うのが面倒)とか、オリンピックを目指した都の事業のお話とか、楽しくお聞かせいただきました。
作品もさることながら、そこに至る生き様がうかがえるのが、ギャラリーのよいところです。
あ、綺麗な画質の名所江戸百景の展示が、今月末から原宿であるようですね。これもまた、楽しみです。 www.ukiyoe-ota-muse.jp
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マニュアルモードで写真を撮ってみたときに考えた、学びと挫折に関すること
一年ぶりくらいに、一眼レフの電源を入れた。
このストアカを受けました。
カメラをやってみようと思ったきっかけ
以前、東京芸大の卒業制作展に行った時、あまりに写真がうまくいかず、
仁和寺展もがっかりな写真しか撮れず、
まだ会期はあるから、仁和寺展はリベンジしたいなぁ、あぁ、カメラちゃんとするかぁ、と思った次第。
カメラがきらいになったわけ
以前、別のストアカの講座を受けてみて、まぁある程度自信はあったのだけど、まわりとのレベル差を感じて、挫折しました。
理由
- その講座はダンスの撮影だった。自分が撮りたいのは静物(美術品)だった
- 多くの人がいて、本気度が強かった
- ついていくのが大変で劣等感が刺激された
- カメラが趣味ではなかった
結果
2時間の講座で、普段は1時間で座学が終わって1時間くらい実践するのだが、受講者が自分だけにもかかわらず、座学で3時間かかった
思ったこと
- 学ぶときは、なぜ学ぶか、何がしたいか、を意識することが大切
- レベル感を合わせることも必要
- 不適切な学習による前提知識からの学習は、未学習からよりも非常に大変
- 適切な教師がいれば、挽回できる可能性がある
自分は、親の非常にマズい教育により、英語がとても嫌な印象があり、それが尾を引いている。 独学で英語は無理かな、英語も適切な教師に付くべきかな、というのが、今の印象
それはそれとして
- 先生からは「カメラと仲良く」と言われたけど、あくまで、機械として思い入れず距離感を持った付き合いがしたい
- 次は人物撮りがしたい
- あくまで「○○のためのカメラ」で、カメラそのものが目的にならないようにしたい
気が向けば
不適切な学習、に関して、まとめてみたい
【勉強会参加】UXチームの育て方・組織へのUXの広げ方 〜UXを社内に浸透させる方法をテーマに座談会します〜
メモ
- UX は、入れるなら全部入れないといけない
- 一部署だけではなく、会社全体で入れる
- 間違ったやり方をするくらいなら、外部の人を入れて正しくやって、そこで社内の経験値を蓄積する
- 正論で押さない。感情は武器。
- 定量的ではなく定性的。アンケート設計を間違えない
- 顧客を間違えない。ペルソナ分析は大切
- UX ではなく、問題解決。困っていることは何か。雇い主をどうやったら出世させることができるのか
女の子のいる「世界」とは -- すぎない時間 小野寺光 絵画展 --
自分と、自分以外の人。 同じ場所と同じ時を過ごしているけど、本当に「同じ世界」にいるのか。
座標としてはとても近くても、時計の指す針は近くても、「見えている世界」は、本当に同じものなのか。
小野寺光さんの描く世界、本人が存在する物理的な世界と、本人の中にしか存在するイメージの世界と、それを両方、同じキャンパスに描く、「どこかにあるけど、自分しかいない場所」を、他の人でも見えるような形で表現している、そういう風に感じました。
ご本人は、大学で助教をされている、とのこと。絵画の表現もさることながら、その言語化もすばらしく、一度授業の様子を拝見したいな、と感じました
アートコンプレックスセンター 東京都新宿区大京町 2/19~2/25
SW を2日目でドロップアウトした人間が考える、SW の利点と限界
Startup Weekend Advent Calendar 2016 - Adventarの記事です。
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生存バイアスという現象があります。少なくない落伍者、脱落者の存在を無視して、生き残った一部のみを見て物事を判断してしまうことです。 Startup Weekend(以後「SW」) に参加して、このようなアドベントカレンダーに書いたり、オーガナイザーになったり、何回も参加したりする方は、SW のことをとても気に入っている方です。そのような方が多く広めますが、少なくない人が、一度参加しただけで、複数回参加することはありませんし、オーガナイザーをされる方も、大半ではありません。また結構な割合の方が、途中で脱落します。
自分は3回参加して、そのうち最後は、2日目の途中で参加を取りやめました。自分が、「SWが馴染めなかった人」の典型からは程遠いと思います(どちらかというと「ハマった」「気に入った」方です)が、カレンダーに何か書こうと考える中では、比較的「冷めた」かんじで書けるのでは、と思い、一筆書かせていただく所存でございます。
尚、不快になる方が極力少なくなるよう、「奥歯に物が挟まった」ような内容になるかと思います。 また、これはあくまで自分の見解です。SW の運営側の方からは、「こいつ分かってないなぁ」となる可能性が非常に高いです。その点ご配慮ください。
目次
- 最初に結論:自分が考える SW が向く人、向かない人
- 自分は、このような方が向いていると思われます
- そして、このような方は、あまりオススメしません
- 自分が考える SW の目的、工夫、犠牲にしているもの
- SW の目的:スピード感
- スピード感を出すための工夫は?
- そのために「切り捨てられる」ものは?
- 失敗は許されるのか?
- しがらみがないということ
- SW が「しがらみ」になるとき
- SW の出会いはすばらしいか?
- 自分が考える、SWの「身も蓋もない」利点と限界
- お手軽ということに関して補足
- 自分は、このような方が向いていると思われます
- そして、このような方は、あまりオススメしません
- おまけ
最初に結論:自分が考える SW が向く人、向かない人
SW は「起業の一連の流れを54時間で体験する」イベントで、いろんな「現実社会とはちょっと離れている」仕掛けや工夫があります。それらは当然効果はあるのですが、自ずと限界、副作用が存在します。どんな病気にも効く薬がないように、「効く人」「効かない人(かえって悪くなる人)」が出てくるのは当然だと思われます。
自分は、このような方が向いていると思われます
- 会社が面白くない人
- 起業ということに「なんとなく」興味がある人
- 何をしたいのかよく分からないけど、手っ取り早く何かをしてみたい人
- 人前で喋る経験をして見たい人
- 体力のない人
- 要は、0.0001 → 1 をしたいひと
- おいしいご飯を食べるのが好きな人(SW Tokyo の場合。他は分かりません)
そして、このような方は、あまりオススメしません
- 自分の力を試したい人
- 「自分のXXで、YYな人を笑顔にしたい」というレベルで、目標の決まっている人
- 「起業しないといけない」という義務感のある人
- 家族を大切にしている人。趣味を大事にしている人
- 職場や学校の友人と一緒に参加を考えている人
- 体力に自信のない人
- 要は、1 → 2 にしたい人
ずいぶん放置していたので、かんたんに何か書いてみる
デザインフェスタに行ってきたので、写真を貼るだけ。
メルカリは世界を「取る」ために、積極的に「西成」を目指している、のかも
この 2つのエントリを読んで思ったこと。
山田進太郎氏は世界を取るために、あえてメルカリを「西成化」するようにコミュニティ設計したのではないか
サービスを立ち上げたいと思うときと思う人(とりあえずIT限定)
Startup Weekend で、ファシリテーターがクロージングパーティの席で他の参加者に「自分のことか、自分の知り合いのことだと、尖ったサービスになる。IT×A×Bとか、広い需要を満たそうとすると、尖がらないふわっとしたサービスになる」と伝えられていた。
それはほんとにその通りだと思って、では、その「自分」や「知り合い」って、誰か、ということ。
ITを使ったアプリやシステムのスタートアップだと、それは往々にしてプログラマやマーケターで、つまりそれは間違いなくインテリだ。 これは、金持ちだとか、高学歴だとかとは、相関はあっても必ずしもそういうわけではなく、「ある程度の学習能力(抽象化能力、論理的思考能力)」のある人たち、「経験よりも知識を優先する」という意味で、一般的にはそういう人が優秀だ、と言われている。たとえば、田中角栄氏が、東大卒官僚真っ青の論理的思考能力を持っていたと言われていて、つまり角栄氏も「インテリ」である。
で、そんなインテリが、会社に入ったり勉強会に行ったりするとどうなるか、というと、大抵の場合、まわりはやっぱりインテリばっかりになり、その「自分の知っている人」は、やっぱりインテリになるのだ。 そもそも世界基準では、日本で生まれ育っている時点で、多くの人が「インテリ」、つまりは「少数派」なのだ。
(インテリとそうでないの境目なんてあってないようなもので、ある分野においては「インテリ」でも、そうでない分野では違ったりする。ただ言えることは、IT企業の経営者や開発者は、IT分野では間違いなく「インテリ」である)
メルカリのサービス
メルカリで思ったこと。
メルカリはインテリをはなから対象外にしている。
インテリの長所は何か。
- 危険を予測して避けることができる
インテリの短所は何か。
- 未知や欠損に恐怖を感じるようになる => コストがかかる
日本人はインテリばかりだから、「トレーサビリティ」とか、いろいろとある。まぁ日本で生活していて、スーパーとか見ているとそう思うし、現在サービスは「危険を避けるために」いろんな付加価値が付いてきている。
自分は日本から一度も外に出ていないので分からないけれども、世界で行われている商取引の多くは「スーパー、デパート」よりも「バザー」の方が多いのだろうと思う。そして、バザーでは、あったり前だけど、トレーサビリティとかやかましいことをやる必要はなく、会話と現金商売で成り立っている、だろう、ということ。
考えてみたら、世界で行われている取引では、「オークション(競争入札)」よりも「自分(買い手)とあなた(売り手)」で完結するマーケットの方が、ずっと多いはずなのだ。
世界戦略の素地
山田氏も、当然、インテリである。早稲田を出て、複数の会社を成功させている。
山田氏は、メルカリ(コウゾウ)を立ち上げる前に世界一周をされていて、特にインドの「ぼったくり」について尺を割かれていたけれども、ここで「世界で何が行われているのか」ということを肌感覚で掴まれたのではないか、と推測する。
そこで、山田氏という「優秀なインテリ(抽象化能力の持ち主)」が、「世界の多くの人が使える」アプリを、と考えて、それをポリシーとして作ったのではないか。 だとしたら、メルカリの軸足がブレることは、まずないかと思う。
当たり前のことだけど、それを「スタートアップで」「信念を持って」やるまでの「肌感覚」レベルで持つことは、なかなか難しいし、そうするとパクるのも困難を極めるのだ。
自分の仮説がもし正しいのだとしたら
山田氏は、メルカリの社員の皆様は、メルカリを使っていてどうなのかな。